梅干の歴史 |
梅干の歴史は古く、遠く平安の昔から多くの人々に愛され、万葉の歌人に、有名な歌が多く残されています。 |
南部地方の梅は、近世江戸時代の前期から田辺藩主安藤公が梅の栽培に関心を持たれ、南部町埴田地区の一部の梅畑に免祖の処置を講じられて、より栽培面積が南部川沿いに向けて広がっていったと伝えられています。 |
明治以降になると生産はさらに本格化し、現在では、和歌山県の梅の生産高のうち、南部町、南部川村で6割ほどが生産されています。この両町村が日本有数の梅の生産地になったのは、多くの先駆者のたゆみない研究と努力の結果にほかありません。 |
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健康によい梅干 |
梅干は本当によくできた食べ物です。
1953年にはイギリスの生化学者H.Aクレーブスが梅干に注目、体内におけるエネルギー発生に関するクエン酸の役割を発見し、ノーベル生理学医学賞を受けました。「クエン酸サイクル」、別名を「クレーブス・サイクル」といわれるもので、食物として接種した糖質や脂質等のエネルギー源を、いくつもの酸に変化させながらエネルギーとして放出させる回路のこと。 |
クエン酸→イソクエン酸→コハク酸・・・と続くこの反応は、再びクエン酸に戻ります。この循環がスムーズだということは、エネルギーの生産がスムーズということ、すなわち、疲労回復につながるのです。 |
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梅農家の「林 尚和さん」(南部川村)からひとこと |
梅見月と懇意にしている、梅農家の林さんは「自分が安心して食べられるものを、人にも食べていただきたい」ときっぱり言い切ります。 |
「自分が食べられないものは、人にも勧められない」とも・・・。
このように、梅見月商品を買ってくださる皆様方のことを絶えず頭に想い描きながら、梅作りに情熱を傾ける人たちがいてくださってこそ、安心して食べていただける梅干をお届けすることができるのです。 |
自然に左右される梅作りは、自然が相手なだけに大変な苦労を伴います。
梅干を口に運んでいただく時に、そんな人たちの想いをふと思いだしていただければ・・・梅見月はそう考えます。 |