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紀州南高梅についてご紹介します

紀州南高梅とは

青ウメ
紀州南高梅は、梅の生産量日本一を誇る和歌山県を代表する梅の品種で、梅の最高品種と位置づけされています。南高梅の特徴は、大粒で皮が薄く、種が小さい分肉厚でやわらかいところです。
また、数ある梅の品種の中でも特に優秀な最高品種とされています。
読み方は「なんこうばい」や「なんこううめ」と耳にします。どちらでも良いのですが、正式名称は「なんこううめ」になります。
2006 年には地域団体商標の第一弾として地域ブランドの認定を受けました。
 

 
南高梅の誕生は和歌山県

和歌山県は、全国の梅の収穫の約6割を占めています。中でも、紀州のみなべ町、田辺市は梅の産地として有名です。
当地域で梅の栽培が盛んになったのは江戸時代からで、紀州田辺藩は自生梅しか育たないやせ地を免税地にして年貢を軽減することによって、地元農民を助け、梅の栽培が広がりました。やがて梅干しは江戸で人気が出るようになり、良品の梅を厳選した南部梅は「田辺印」の焼き印を押した樽に詰められて、江戸で瞬く間に有名になりました。
昭和25年、戦後の農業復興に際し、南部郷の梅の品種統一を図るため、郷内で栽培された最優良品種の選抜を行い、その結果、「高田梅」ほか6種が優良母樹に選定されました。
その中でも最も風土に適した最良品種の「高田梅」は、母樹選定調査に深く関わった南部高校(みなべこうこう)の努力に敬意を表し「南高梅」と命名されたのが由来です。
南高梅は6月初旬から下旬にかけて収穫時期を迎えます。この時期、町内には梅の甘くてフルーティーな香りが充満しており、町全体が慌ただしくなります。
収穫された南高梅は6月中旬から7月初旬にかけて店頭に出回り、自家製梅酒や梅ジュース作りとして人気があります。
また南高梅は梅干しの贈答品や自家需要としても人気がありますが、それ以外にも、梅酒や梅ジュース、梅シロップ、梅ジャムなど様々な加工品としても人気があります。町内には南高梅の加工製品を扱う会社がありますので、いつでも通販でご購入いただけます。
最高級の南高梅を使った梅干しは、誰に送られても喜ばれること間違いなし!

梅干しの歴史

干し梅
古くは『貞丈雑記』に「菓子は、むし菓子や千菓子のことではなくて、果物を菓子という」と書かれています。また、『和名抄』にも梅は木の実・果物に分類され、奈良時代の人々は、桃やびわ、なしなどと共に梅を生菓子として食べてきました。
平安時代には、日本最古の医学書『医心方』(平安時代中期の医師、丹波康頼が984年に著したもので、六朝・隋・唐時代の中国や朝鮮の医薬書から引用した医学全般にわたって説かれた本)の文献の中に「梅干し」の効用が取りあげられています。
鎌倉時代では、武家社会のもてなしは「椀飯(おうばん)」と呼ばれ、クラゲ・打ちアワビなどに、梅干しや酢・塩が添えられたご馳走でした。兵士の出陣や凱旋の時に縁起がいい食べ物として、また、禅宗の僧は茶菓子として、梅干しを用いました。
江戸時代に著された「雑兵物語」には、戦に明け暮れる武士は、食料袋に『梅干丸(うめぼしがん)』を常に携帯していたと書かれています。梅干しの果肉と米の粉、氷砂糖の粉末を練ったもので、激しい戦闘や長い行軍での息切れを整えたり、生水を飲んだときの殺菌用にとおおいに役立ちました。また、梅干しのすっぱさを思いだし、口にたまる唾でのどの渇きを癒したそうです。
一部の人しか食べられなかった梅干しも、江戸時代になると庶民の家庭にも登場するようになりました。江戸では大晦日や節分の夜、梅干しに熱いお茶をそそいだ「福茶」を飲み、正月には黒豆と梅干しのおせち「喰い積み」を祝儀ものとして食べられていました。江戸庶民の梅干しを食べる習慣が全国に広がるにつれ、梅干しの需要はますます多くなりました。特に紀州の梅干しは「田辺印」として評判を呼び、田辺・みなべ周辺の梅が樽詰めされ、江戸に向け、田辺湾から盛んに出荷されました。
明治時代には伝染病が流行り、日本全国で多くの人命が病によって失われました。明治  11 年、和歌山でコレラが発生し、翌年にかけて  1768 人の死者が出ました。この時、梅干しの殺菌力が見直され、需要が急増します。また、日清戦争の頃、軍医の築田多吉が、外地で伝染病にかかった兵士に梅肉エキスを与えて完治させ、梅干しの薬効を実践しました。
このように、梅干しは古くから日本人の食に付き添ってきており、現在でも健康に欠かせない食品として愛されています。特に紀州南高梅は、皮が柔らかく果肉が厚いのが特徴です。南高梅は梅干しのほか、梅ジュースや梅酒など全ての加工に適した最高級品種で、和歌山県みなべ町が原産となっています。昭和  25 年、品種統一を図るため、  5 年の歳月をかけて町内の梅を調査研究した結果、最優良品種と認められたのが現在の南高梅です。実は、南高梅の「南高」という名前は、その調査研究に深く関わった県立南部(みなべ)高等学校の愛称である「南高(なんこう)」に因んで名付けられました。
今では昔ながらのすっぱい梅干しを食べやすくするように、調味加工した梅干しがあります。その数もたくさんありますので、通販サイトをご覧になっていただき、ご自身にあった梅干しをお取り寄せください。

紀州南高梅で作った梅酒のご紹介

 

紀州南高梅の特徴であるフルーティーで香り良さを追求した梅酒「蒼の雫」は贈答用でも人気があります。大切な方に贈られる際は梅酒「蒼の雫」をおすすめします。

健康効果にオススメの梅干し

ゆめ(塩分5%)

塩分を極限までおさえたほんのり甘い梅干しです。
完熟生梅の風味を存分に引き出すため塩分を5%にまで抑えました。上品な甘みは正にゆめの味わいです。

白梅酢

梅ポリフェノール(UP)がたっぷり。
梅干し製造時の副産物である酢「白梅酢」。鶏の唐揚げに最適!新型コロナウイルス感染阻害効果あり。

ちょび梅

おひさまと南高梅と塩だけで作りました!
自然製法にこだわった天日乾燥で直径2cm程のシート状に加工しました。夏の熱中症対策の塩分補給に大好評。

マルヤマ食品の紹介

うめぼし
1955 年(昭和  30 年)和歌山県南部川村(現みなべ町)に丸山清治商店として創業し、これまで梅干し一筋に打ち込んできました。日本一の梅の里、和歌山県みなべ町で収穫される紀州南高梅を主商品として扱っており、昔ながらのすっぱい梅干しや、しそ梅干し、はちみつ梅干しに至るまで、様々な調味梅干しを製造、販売をおこなってまいりました。また、  1990 年代後半から通信販売を開始して、より多くのお客様に当社商品を届けるよう努めてきました。
 
創業者の丸山清治は、戦後の日本復興発展とともに梅の健康効用が再評価されたことに着目し、自ら畑で梅を栽培する傍ら、個人のお客様に対して梅干しの販売を行うことを決断しました。当時は和歌山で作った梅干しを木樽に詰めてトラックの荷台に乗せ、東京へ運んで販売をするのが主流でした。昔は高速道路が無かったので、トラックで山道を駆け上り、休む暇もなく東京と和歌山を行き来していたと聞いています。その後、まわりには梅を栽培する農家さんが増え、さらに梅栽培が盛んとなり、和歌山県南部川村(現みなべ町)はその後からずっと梅の生産量が日本一を継続しています。その後おかげさまで、順調に梅の販売量が伸び続け、  1987   4 月に資本金  1000 万円で法人化(現マルヤマ食品・梅見月)をおこない現在に至ります。
 
   1995 年新工場を建築(総床面積  780 ㎡)し、品質向上のため  2F に製造工場を設ける新しい取り組みに挑戦しました。これにより、異物混入リスクは激減。より安心安全な梅干し製造工場が完成しました。紀州で大切に育てた南高梅に新しい技と匠の技術で息吹を吹き込む。それがマルヤマ食品・梅見月のこだわりです。

HACCP認証制度を取得 ~安心・安全をモットーに~

HACCP認証制度とは、食品事業者の食品衛生管理システムにおいて、コーデックスが規定する公衆衛生上必要な措置を遵守しているのかを確かめることが目的とされています。
この制度で認定された事業者もしくは施設では、原材料の受け入れから完成した製品の出荷まですべての製造・加工工程において、危害を排除する衛生管理を行っています。
また、その取り組み内容を記録することが義務付けられており、何か問題が発生した場合には、早急な対応と改善が必要とされます。
HACCP認証制度は各推進レベルが設けられており、マルヤマ食品・梅見月は一番上のレベルであるHACCPシステム推進営業認定事業者となりました。
レベルの高いHACCP認証制度を導入していることで、より安全で安心な食品をお届けいたします。